はじまり





家業は紋章上絵業だ。


着物に家紋を描き入れる仕事である。

私で四代目になるので明治40年頃の始まりらしいがはっきりはしない。


初代は甲府の連雀問屋街、そこから自転車で10分程下った場所に二代目から移って今に至る。


連雀問屋街は今から40年程前までは繊維の問屋を中心に賑わっていてその周辺には様々な職人さんがいた。


なので白生地がその周辺を一回りすれば染まって紋まで入った着物が仕立て上がったらしい。


私の幼い頃はバブル絶頂期でとても忙しく親が手を離せないのでこの辺りの仕立て屋さんにはよく配達に行かされたものだ。


小さい自転車の前かごに反物を入れるとすごい違和感で恥ずかしく友達に見られたくないという思いで自転車をこぎ、着いて戸を開けるとたくさんのお弟子さんが一斉にこちらを向く中、もじもじと品物を渡してくるのだが人見知りな私にはなかなかの心労だったのか未だにその光景を憶えている。


そんな街もすっかり静かになってしまい、大きな道が通るため、空家になっていた初代の家も数年前に取り壊され今は歩道の一部になっている。


大きいものの一部になってしまうととても小さく見え、こんな狭い場所で仕事をしていたのかと驚く。


だが伝統工芸の手仕事の場をよくよく思い返しててみると、私の親の仕事場はそれぞれ机ひとつ。


修行時代に親方に連れて行ってもらった着物に柄を描く職人さんも三畳程の空間に枠場という道具で12メートルの生地を張って染めていた。


京都には着物に柄を描いたり色を差したり金彩の加工を自宅の机でやる内職さんもたくさんいた。

どこも大した広さはないのだ。


手仕事は手の届く範囲でしかできないのでその程度の場所で良いのだ。


その中でいかに自分が納得できる仕事をしていくかなのだろう。手の届く範囲だから気の遠くなる様な繊細緻密な仕事もやり続けられるのだと思う。


修行先では12メートル程あった染め場だが、

かくゆう私の作業場も5メートル程。


とても狭いが着物から大きなのれんまで作ることができている。

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